仕事の間、母が航一を見ていてくれるのに甘え、先日久しぶりに主人と映画を観に行きました。観に行ったのは、封切りになったばかりのオリバーストーン監督の「ウォールストリート」。23年前の作品は、ビジネススクール時代、ファイナンスを専攻していた私は何度繰り返して見ました。
私がMBAの学生だった頃、夢見ていたのはまさに今回の作品で主人公のジェイクがしているような仕事です。次世代のテクノロジーにお金を集め、育てる仕事。言うなれば、次世代技術先行投資。今の時代ならクリーンエネルギー。それゆえ、この映画のストーリーはなおさら感慨深かったです。
卒業後、実際の社会を旅しながら気づいたこと。
お金は取引されるから動く。膨らむ。はじける。とてもバーチャルだということです。
そして技術の流れ。テクノロジーはどんどん私たちの生活を便利にしていきます。便利というのが、マルチタスクで効率よく物事を処理していくことであるなら、プロセッサーの性能が良くなればよくなるほどいいのです。私たちが向かう先は、限りなく便利な生活なのでしょうか。私はヨガを学んで「シングルタスク」の贅沢さを知りました。携帯電話やパソコンを使いこなしているつもりが、実は一日の大半を機械に使われ、マルチタスクやネットワークによって24時間つねにつながれている生活。本当の意味で一人になって自分のことを考える時間の取れない生活。どんどん便利になっても、幸せはそこにはないような気がします。幸せがあるのは、自分が生きている意味、生まれてきてよかったということを確認できたとき。それは、どんなにiPhoneの機能があがったとしても、機械の操作に忙殺されている生活にはないと思うのです。
もちろん、私たちの生活にテクノロジーは必要です。洗濯機が有るから、家事の手間は格段に軽減されます。でも、次世代のディスラプティブ(眼からうろこの)テクノロジーは今の技術革新の延長線上にはないと思います。次世代技術はつねに世界を変えるほどの別次元にあるのです。
だから私は究極のシングルタスクであるヨガを教えていきたいと思っています。何もしない時間を持とうよ。何もしないでちゃんと自分を休める時間を。働き過ぎだよ、頑張り過ぎだよ。今日は何もしなくていいんだよ。と言える場所を、社会を日本にも作りたいのです。映画の主人公がクリーンエネルギーに賭けたように、私は静かにヨガに賭けてみたいと思っています。そして、かつて夢見ていたようにプライベートエクイティでお金を集め、事業の価値を高めていくという方法ではなく、何が次世代の価値を高めていくのか、ということも今は違う考えを持っています。
技術を育てるのはお金かもしれません。研究開発。マーケティング。資金集め。MBAの手法によって上手に経営をしながら、ビジネスの種を咲かせて大きく花開かせ、その実を配当というかたちで出資者に、そして社会に画期的な新製品として還元していく。それは確かに素晴らしいビジネスモデル。MBAではみんな競争戦略を勉強するものです。
でも、今度の映画でもゲッコーが言っていました。「刑務所生活をへてやっとわかった、一番価値が有るものは何か 〜 時間だ」。そして家族との絆を取り戻していくくのですが、
・・・私はあえて「人」だと思います。人が学び、伝え、輪を作り、広げていく。ことができるのが社会の素晴らしさ。プレゼントバリューと呼ばれる、将来にわたり価値を高めるもの。そこに金融工学のような計算式はないけれど、生きる希望を持った人々ほど確かに社会を輝かせるものはないと思う。
(また、映画にもあったように、投資をするときに見るのは技術だけでは有りません。この人ならやってくれるだろう、という人に対する信用で、行う投資が技術を育てるのです。)
そして、お金は人と違って、バーチャルでは有りません。確かにそこにいるのです。
だから私は、ヒトが元気に暮らせる社会作りをできるヒトの輪に自分の時間を投資していきたいと思っています。投資は人のお金を集め、それを信用に基づき大きく動かして社会を変えていきます。もちろんそれも素晴らしい経済のダイナミックな手法です。でも、家庭を持った今、やっぱり自分が持てる、あるいは関わりを持てるリソースの範囲内でやるのが私にはあっているように思います。人のふんどしで緊張しながら相撲を取るより、自分のふんどしでとりたい。相手の顔が見える範囲でできる仕事だから楽しい。
そういえば、今日9日夜10時から、NHKスペシャルで大相撲八百長事件の緊急特番が有るみたいです。
もうすぐ、ビジネススクール卒業の10年目の同期会があります。えっ、あの居眠りばかりしていた朋ちゃんが、お母さんだって?とみんなびっくりすることでしょう。(当時から授業中リストラティブしていたようです)