怒りはいつも「自分が正しい」に基づいています。自分が正しくて相手や周囲が間違っている、と思うから怒るのです。そして、怒りながら私たちは社会や相手が変わると思いこんでしまいますが、実際は社会も相手も決して変わることはないのです。皮肉なことですが、相手が変わると期待すればするほど、火に油を注ぐように怒りも倍増していきます。
では、どうして相手に敵意を抱くのでしょうか。それは相手が自分のニーズを満たしていない、という判断するからです。私たちは独立しているという幻想を抱いています。でも実際、完全に独立している存在などなく、皆お互いに依存しているのです。依存している証拠に、ひとは相手に期待し、期待に応えてもらえないから(相手が自分の期待を満たさないから)怒りをぶつけるのです。
仏教のお話ですが、お坊さんが修理したばかりのボートで川に乗り出しました。そうしたら、向こうからボートがやってきて衝突しました。お坊さんは激怒しましたが、除いてみたら、ボートには誰も乗っていませんでした。さあ、誰に怒りをぶつけたらいいのでしょう。相手に悪というラベルを貼っても仕方ないのです。
このように、ひとが孤独になる最も簡単な方法は、誰かを敵にすることです。それは往々にして身近な人である場合もあります。自分のときすらあります。相手や自分が悪であるかどうかにかかわらず、相手を勝手に評価し、敵というイメージを持ってしまうのです。しかし相手も私たちと同じように何かを恐れ、恐がり、話していることに気づけるひとは少ないのです。
人間とはなんと孤独な存在でしょうか。相手を傷つけない(アヒムサ:非暴力)話すことに努めながら、それに気づくこともヨガの学びといえそうです。